猫を棄てる。
2020年11月8日
好天の日曜日。
明日から高根町で始まる現場の準備作業。30年ほど前に作庭させて頂いたお宅に自然石の炉ろテラスを造る予定で 石の配達や枕木の積み込み作業。
午後は打ち合わせ2件の後今年度2回目の煙突掃除家の前を流れる古杣川沿いの林で朝晩8束の焚き木造り。林と言っても樹齢100年以上のエノキ、ナラなどがあり 特にこのエノキは自分のご神木となっています。
さて 忙しい日々が続き本が読めない日々でしたが このところ 葉室麟や藤沢周平の歴史ものや 今日は村上春樹の短編 猫を棄てる を林の中で読み終える。
この本は主に父親の戦争体験をつづったものですが 自分の親父も それ以上の過酷な戦争体験をしてきたので 同感しながら読み終えました。
戦後2年後ニューギニアからの帰還兵として部隊からの生存者2名という父は 戦争体験をほとんど語らず亡くなりましたが 何故語らなかったのか 語れなかったのか 死後 同じような体験を同所で体験された方々の本を集め読みました。詳しくはここでは書きませんが
この本から「我々は、広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという雨水の責務がある。われわれはそれを忘れてはならないだろう。たとえそれがどこかあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても。いや、むしろこう言うべきなのだろう。それが集合的な何かに置き換えられていくからこそと。」