八ヶ岳カントリーガーデンは、造園から庭の設計・施工・管理まで、お客様の庭造りをサポートします。
八ヶ岳カントリーガーデン

花で繋ぐもの。春の支援初日。

2019年6月5日

被災地支援から帰ってきて 昨夜も遅くまでデスクワークしていて 頭がボ~ッとしている状態が続き 平常じゃないので 

今日の現場は午後からT君に任せ 一休みしてから2件の設計見積もりをこなしました。その後 被災地支援の会計と支払い準備。

先日完工した2件の確認など。近くのS邸はグリーンコテージさんが植栽してくれました。

こりらも留守中に仕上げてくれたK邸園路、扉工事。午後5時から

八ケ岳グリーンネットワーク有志による花つむぎプロジェクト第一弾小淵沢駅植栽の草取り 剪定作業。

高原をイメージした植栽の苗たちは元気に育っていますので 駅に来たときは見てください。

さて、八ヶ岳グリーンネットワークによる支援初日。6月1日。片道8時間かかるので一人軽トラで前夜いわき入りしました。以前造らせていただいていた雄勝病院仮慰霊碑周辺に植えてあったバラを仙台のボランテイアに預けてあったのでピックアップしたのち 

2年前に開校した雄勝小中学校、3年前に開所した保育園に花苗を届ける。(土曜なので 校長先生、教頭先生が対応してくれました。)

雄勝小学校は生徒16人 でもその内8人は石巻市など郊外から通って来ていて 授業中眠くなる子が多いそうです。

その後 復興商店街へ花苗、子供プランターを届ける。雄勝の主力ホタテは 春から貝毒で出荷できなくなっていて(牡蠣 海鞘は大丈夫)活気がありません。海藻もこの春は不漁でした。

そして 3月11日に除幕式を行った雄勝病院慰霊碑周辺の土を耕して 花を植える準備。

本来ここは鎮魂の森として多くの木々が植えられる予定ですが 未だ入札も行われていません。ので ほんの少しの場所を市からお借りするという形で行われました。主に職員遺族の方々と共に花を植える。その間にも 植栽には参加しないけれど 関係者が次々と訪れる。

海の見える病院として 映画のロケにも使われたほど素晴らしいロケーションですが まもなく スーパー防波堤が出来れば海も見えなくなります。震災から8年がたち この春の3月11日にようやく職員(患者遺族は除く)遺族が集まり 除幕式が行われました。今回の作業には 今まで仮慰霊碑整備作業に参加してくれた事務局長のSさんを除き 看護婦さん職員たちの皆さん(1人津波に流されながら生還され そのほかは非番か在宅訪問医療の方々)は参加されませんでした。

生き残ってしまったために ご遺族と会いにくいのかなぁ…と思いますし はたまた 患者さんたちのご遺族には この活動は届いていません。

何かを語れば 誰かが傷つき 多くの被害を受けながら 誰も語ることが出来ないでいる雄勝病院関係者。それでも ご両親やここで夫を失いながら 遺族同士を繋げようと立ち上がり 遺族に手紙を書き続け始めたIさん。

震災前は 高齢者のための病院で 寝たきりの患者が多い場所でしたが 家族的で 院長や従事者皆さんが親しみやすく温かな病院だったそうです。

その素晴らしかった雄勝病院関係者が再び ご遺族、元職員が語り合える 悲しみを分かち合える日が来るまで もうしばらく花で 見守ることが出来ればと思います。

 今回 参加してくれた 23歳の一番若い看護師を亡くされたご両親は 一生雄勝に住み 息子がいる雄勝湾に向け供養し続けるそうです。

また、ご主人を亡くされ 未だご遺体が見つからない方は 未だ何も言葉がありませんでした。

被災された方々一人一人に 重く辛い体験があり 8年たった今も少しも変わることがない。

それでも こうした悲しみを分かち合える場所として Iさんの活動を支えるつもりです。(震災の記憶を一刻も早く忘れ去りたいという方々もまた多いと思いますが)

震災から8年 ここでなくなった方は64名 未だ遺体が見つからない方が11名。

仮慰霊碑を造らせていただいたあの日。多くの蝶がここに来たことを体感した者として 失った悲しみは消える事はありませんが 8年間通い続けた者だから出来ることが少しはあるはず。

 

 

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