京都酔いどれ旅 (仙洞御所)
冬らしい晴れの一日。我が家の庭の剪定作業をしました。ついでに東側の竹やぶの整理も。午後過ぎに終了。パーゴラなどのペンキ塗りもしたいところですが・・・。明日からいよいよ薪割り作業です。ところでここの冬の主役は小鳥たちとこの方作業を中断していた昼休みにご登場。いろいろ騒がせてごめんなさい。
さて、京都二日目。朝9時半の仙洞御所ツアーに参加。ここを訪れるのは3回目。ここは後水尾天皇(修学院離宮を造営された方)の譲位後の住居として徳川幕府が造り その作庭者は小堀遠州でありました。残念ながら 度重なる火災と再建で当時の姿は一部しか残っていませんが 素晴らしい庭には間違いありません。今の姿になったのは1747年で仙洞と女院の庭が合わされて 庭園建築物は醒花亭以外は復興されていません。写真は北の池。仙洞御所にするか修学院離宮にするか最後まで悩みましたが 参観の時間を考えここにしました。この庭は 修学院離宮のおおらかさと 桂離宮の鋭さの中間にあると思います。紅葉山を渡り南池の藤棚がある八つ橋から見る出島や雄滝の石組み。この辺りは遠州の作風が残っています。少しアップして見ます。この辺りの造作がこの庭で一番好きな場所です。有名な州浜から八つ橋方面を見る。この州浜を埋め尽くす小石は小田原から小石一つが米一升と取り換えられました。これでもかというくらいに沢山広くあります。(100m×20m)唯一残っている醒花亭。蹲や朝鮮灯篭やクロモジ垣などどれも一級品。出口付近に明治17年近衛邸から移築された又新亭(ユイシンテイ)
遠州が作庭した当初は極めて斬新な意匠(直線と自然風の護岸で人工と自然の対比が明確な庭)だったそうですが その面影はほんのわずかに偲ばれるのみです。庭は時代の好みと共に変わっていく宿命なので 致し方ありませんが 改築されてもその時代の腕利きたちが精鍛込めて出来た庭には間違いありません。